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アセンション(6)

Posted by photn on 26.2010 アセッション   1 comments   0 trackback
アセンションは近隣宇宙全体にかかわる壮大なイベントですが、これに関するすべての情報は、私たち地球の人類が、そのスムーズな実現の鍵を握っているという点に収斂(しゅうれん)しています。たかだか太陽系の一惑星の住人が、太陽系はおろか銀河宇宙の動向を左右する重みを持っているということは、苦難の歴史を経てやっと定説化した「地動説的宇宙観」になじみやすいものではありません。これを敷衍(ふえん)することは次回以降に譲りますが、地球人類1人ひとりの意識の動向が、重大な関心をもって、さまざまな「神々」や「宇宙の存在たち」によって時々刻々モニターされていることは間違いありません。意識は波動として宇宙全体に放出されているので、これをキャッチすることは、波動の奥義を極めている「存在たち」にとって「朝飯前」のことのようです。 そのモニター情報によれば、意識の深いレベルでアセンションを意図している約1割(6億)の人口の男女比は、約3:7とのことです。表面的に観察できるアセンションへのコミットメント(積極的関与)の男女比は、2:8ぐらいでしょうか、いやどうかすると1:9ぐらいかもしれません。男性は、表面意識はそうでなくても、潜在意識で「知っている」人が少なくないようです。いずれにせよ、ここでは完全な「女性上位」です。これは、現に職に就いているかどうかには、あまり関係がありません。 女性は本来的に直感に優れています。彼女たちが、一見、考える前に行動するように見える部分は、男性の論理で計ることのできないものです。生理、妊娠、出産、育児など、「いのち」とのかかわりが深いことと、何か関係があるかもしれません。「直感」の答えは一瞬で出ますが、「考え」は時間がかかるだけでなく、このテーマについては、結局答えは出ないのです。いずれにせよ、「男性原理」が支配的なこの社会の「戦士たち」が気づいていない深層部分で、彼女たちを先頭に急速に膨らみつつあるアセンションへのエネルギーは、いずれ「水面」に姿を現すでしょう。実際、「次の時代」をリードするのは、主に女性だとのことです。そして、すぐその後に、「インディゴたち」が本命として登場します(「インディゴ」については、本シリーズの「アセンション(4)、インディゴ・チルドレン」を参照)。 現在の流れでいくと、アセンションへのいくつかの「パス(通り道)」のなかで、「肉体を伴ったアセンション」を達成するのは、女性が圧倒的多数を占めるのは間違いないでしょう(もちろん、「インディゴたち」は男女の別なく全員が、難なくアセンションします)。そうなると、男女比のアンバランスを心配する向きがあるかもしれませんが、その心配は要りません。次の時代には、すべての人が、男性原理と女性原理を均等に持つ本来の姿に戻るからです。生物学的な意味でも、寿命が事実上無限となるなかで、社会にとっての「生殖」の意味合いが変わってくるのです。 この流れに対して、もし「女子供に何ができる」という感想を持つとすれば、そのエネルギーは、次の時代に持ち込むことができないものです。「女子供」が得意とする領域が、大きいウエイトを持つようになります。この変化に抵抗するよりは、変化を受け容れて、流れに乗る方がずっと楽です。 ビジネスとアセンション アセンションは、その性質として、個人にかかわる出来事です。したがって、経営者や従業員を含めた、ひとつのビジネスの全体がアセンションするということはありえません。「奉仕」はあっても、「ビジネス」というものが存在しない社会に移行するのだから、当然のことです。一方、現代社会では多数の人が、経営者や従業員という形で、ビジネスとのかかわりを持っています。そして、ビジネスに身を置きながら、アセンションに備えるという困難な課題を、抱えています。これは、関係者がその事実を認識しているかどうかには関係ありません。 そこで、ビジネスの在り方が大きい問題になります。特に事業目的や事業内容が重要です。ヒューマニティーの観点からこれを見ると、「地球人的(3次元的)耽溺(たんでき)」の種となる商品やサービスを提供するビジネスが少なくないのは残念なことです。また、報道、放送、出版、娯楽などの業界のように、現代社会の「混迷の渦」をいっそう掻き混ぜるような、刺激的な「作品」の提供に注力するケースも広範に見られます。多くの場合、競争原理のなかで、それを徹底的にやった者が、今のところ、ビジネスとして成功することが多いのが実情です。 地球(ガイア)との関係では、地球規模の「資源争奪戦」にかかわるビジネス、生態系の破壊につながるビジネス、環境汚染に関係するビジネス、そして兵器産業などが問題になります。また、すべてのビジネスに関係することとして、経営理念や運営のなかで、地球環境や人類を含む地球上の生命の健全な営みに配慮しているかどうかも重要です。 以上に加えて、現代のほとんどの企業が、もっと深刻な「ワナ」にはまっています。「個体」としての売上や利益の「成長」にもっぱら注力して、商品やサービスを「もっと買わせる努力」の行方が、マクロでどういう結果をもたらすかの判断を、なおざりにしているのです。また、他社との競争や比較にとらわれて、株価や社債の格付けに代表される「市場の評価」を至高の基準として「崇拝」する傾向があります。その結果、いわゆる「グローバル化」の趨勢のなかで、いっそう深くその流れに身を投じることしか「生き延びる道がない」、という思いにとりつかれています。独自の理念が弱いから、市場の原理に振り回されるわけです。ほどほどのところで落ち着くことができず、到達点が見えないまま、いつもテンションが張りつめている、という状況がみられます。 一方、「雇用する者(経営者)」と「雇用される者(従業員)」の組み合わせという、企業の一般的な形態が持つ内面の問題もあります。それは、経営者が従業員を「所有する」という関係、その裏として、従業員はいつでも「処分可能」という観点です。実際に「発動」されなくても、常にこの関係が潜在しているため、従業員は或る種の「主権不在」の状態に置かれています。アセンションが達成しようとしているのは、「個人の主権の完全な回復」です。したがって、雇用関係が、意識の状態に影響しないような身の処し方をしなければなりません。簡単でないかもしれませんが、常に「自分の中心に居る」ことが重要です。 さまざまな観点から、現在の勤めが自分のためにならないと思い、また個人としての改善努力にも限界があると思う場合は、それから「離脱」する方が賢明です。しかしその前に、ひとつだけ確認することがあります。それは、経営者または上司との「カルマ」です。カルマとは、別の時に生じた「負債」を完済するという約束です。通常金銭的なものではなく、また多くの場合「暗黙の約束」です。そのようなカルマの清算(返済)を、「今生」のテーマのひとつとしている場合があります。この場合、「離脱」する前に、それを完遂しなければなりません。 この世に「偶然」はなく、カルマに該当する場合は「必然的に」それを処理できる環境が整い、完遂したかどうかも自分の感性で分かるはずです。そして自然に、あるべき方向に動いていくでしょう。このケースでもし、完遂した後さらに「居座った」とすると、今度は逆の関係のカルマ(相手が負債を持つ)を含む新たなカルマが生じ、それを将来に持ち越すことになります。これは避けた方が賢明です。ここでのテーマではありませんが、アセンションは、「今生」のものであれ「過去生」のものであれ、すべてのカルマを清算することが条件になります。 さて、雇用関係から「離脱」した後、主権を確立した人が目指すべきものは何でしょうか。その中心になるべきものは、広くヒューマニティーのための奉仕的活動だといってよいでしょう。それが、個人としてのビジネスになることもあります。いずれにせよ、どんな障害にも解決策があり自分がその能力(創造力)を持っていることを信じて行動すれば、結果がついてくるでしょう。ただし、価値基準を変えることは必要です。また、それまで身につけてきた「意識のモチモノ」を捨てることも重要となるでしょう(本シリーズの「アセンション(4)、モチモノの点検と廃棄」を参照)。 「現実」の融解と新たな創造 ほとんどの人は、今のところ無関心ですが、アセンションの一環として、これまでの「現実」の「融解」が目前に迫っています。本来「現実」は、人々の「思い(意図)」によって創られかつ支えられているので、人々の意識の変化が或る「臨界点」に達すると、それまでの状態が保持できなくなって、あたかも金属が溶けるように別のものに変容します。この変容は、突然起こります。 「思い」によって「現実」が変容するということは、意図するどんな「現実」でも創造することができるということを意味します。これをにわかには信じられないのは、これまで身につけてきた「集合的な信条体系」あるいは「集合的な固定観念」とも言うべきものが、邪魔しているためです。これをすっぱり捨ててしまっても、何も困ることはありません。それどころか、「現実」についての新しい認識を持つことによって、これから起こってくる事態への対応の幅が広がることは間違いないでしょう。 ガラスやプラスチックの板に彫られたホログラムをご覧になったことがあると思います。これは、どの方向から見ても、立体的に見えます。驚くべきことに、そのガラスを砕いた破片の一つ一つに全体像が見えます。つまり、部分が全体を同時に含んでいます。私たちが慣れ親しんできた「物理的現実」は、このホログラムと事実上同じものです。ただし、板ではなく空間に立体的に投射されています。この光の集合を、感覚器官の働きによって、個体や液体などとして認識しています。 この宇宙の基本要素は、「意識」と「エネルギー」(だけ)です。光とエネルギーは基本的に同じものです。「根源」から発せられた光が、私たちの空間を覆うプリズム(またはフィルター)を通して、さまざまな属性(光線の種類)に分かれます。「集合意識」または個別の「意図」が、特定の「体験(つまり現実)」を求めると、さまざまな属性を持つ光に新たな方向付けがなされ、それらの相互作用を通じて対応するホログラムが形成されます。このホログラムが、私たちが「現実(または物質)」として認識するものの実体です。 この過程で、地球や生命体が持つ「ボルテックス」というものの関与があります。ボルテックスは、「チャクラ」とも呼ばれ、エネルギーの渦巻きで、「創造」を規定する「光の情報パターン」を内包しています。これは、エネルギーの電磁的パターンの、送受信機ともいえます。光線は、ボルテックスを経由して投射されます。 いったん創造された「現実(つまり、ホログラム化されたイメージ)」が維持されるためには、光が元のパターン通りに投射され続け、同じ「思い(意図)」が与えられ続ける必要があります。普通は「集合的な固定観念」がこれを支えていますが、「思い(意図)」の内容が本質的に変われば、光の方向付けが大きく変わりホログラムが激変する、つまり「現実」が「根本的に」変わるわけです。この「大変化」は、集団の「集合意識」でも、或る程度まとまった数の個人の「意図」でも起こすことができます。これがまさに、これから本格化する、古い「現実」の融解、そして新しい「現実」の創造です。その推進力となるものは、数を増しつつある個人の意識の変容です。 この「現実」の変化とあいまって、DNA構成の変化を伴って、私たちの肉体の性質も変容します。これは、チャクラが活性化して、「光の情報パターン」が変化することによって引き起こされます。この変容は、私たちの創造性に新しい可能性を与えると同時に、「現実」を構成するホログラム(マトリックス)に圧力をかけて、その変容をさらに加速します。上述のホログラムの性質から分かるように、大宇宙(マクロコスモス)と人体(ミクロコスモス)とは、それぞれの反映なのです。 以上から結論づけられることは、私たちが「確かな現実」だと考えてきたものは、きわめて脆弱なものだということです。それは、それを構成する人々の「信条体系」によって、わずかに支えられているに過ぎません。それも、誤った「信条体系」あるいは「固定観念」によって。地球の科学が集めたデータや法則は「3次元のフィルター」の内側で、また「これまでの現実」を創造した「規範(エネルギーと意識の性質)」の枠内で、過渡的に通用してきました。しかしその枠内でも、科学が説明できないものは無数にあります。 [補足]『不思議の国のアリス』 ルイス・キャロルのこの小説を読むことは、「来るべき日々」の、格好の「予行演習」になります。「その日」には、アリスと同じように、周りに誰も居ないかもしれません。仮に居たとしても、次々に出現する不思議な状況を、的確に説明できる人ではないでしょう。アリスが、遭遇したすべてのものを有りのままに受け容れ、決して恐怖心を起こさず、刻々変化する状況に柔軟に対応し、そして健全な理性を失わない姿は、「その日」そして「それに続く日々」に、最も必要な資質です。 「来るべき日々」には、「学識」は何の役にも立ちません。「分析的な頭脳」や「現実はこうであるはずだ」という「固定観念」は、自分自身を刺す「トゲ」になるでしょう。明鏡止水の心で、ただ状況を見つめることができるかどうかが、分かれ目になるでしょう。心に留めておくのにふさわしい言葉は、「愛は有りのままを受け容れる」です。この意味で、「愛の鑑(かがみ)」をこの童話にみることができます。 邦訳は、矢川澄子の新潮文庫(181ページ、¥476[税別])を薦めます。「翻訳における創造性」の極致です。
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アセンション(5)

Posted by photn on 26.2010 アセッション   1 comments   0 trackback
西暦2000年を迎えて、さまざまなメディアが取り上げている、次の1000年(あるいは100年)への展望には、2つの重大な見落としがあります。第1に、母なる地球が、これまでの路線を変えないこと、つまりその3次元的外皮(3次元の物質地球)を人間や地球の生命のために今後も提供し続けることを、暗黙のうちに仮定していますが、この仮定には無理があります。第2に、現に進行している人類の急激な意識の変容と、それがもたらす効果を看過しています。 希望する地球や世界の将来像が、「分離のゲーム」や「2極性のゲーム」に彩られた、これまでのパラダイムを温存した上で、「ちょっとだけ都合よく」変わってほしいということだとすれば、その希望は決して実現しないでしょう。実際にこれから起こることは、きわめて短い過渡期を経て、急速に地球とこの世界が新時代(高次元のパラダイム)に移行するとともに、古いパラダイムが消滅することです。それが、ミレニアム(新たな千年紀)の本当の意味です。 地球(ガイア)は、今回の「大波」に乗って、高次元へアセンションすることを明白に意図しています。「宇宙」からの情報によれば、地球が次の次元(5次元)へ移行するために必要な波動レベルを獲得する時期は、2007年から2012年とみられています(フォトン・ベルトの中心部と遭遇する前に、これをやっておく必要があります)。その時期がくれば、地球はその肉体(3次元の物質地球)とともに、いつでも5次元へ上昇できるわけで、それにともない、これまでの地球は消滅します。人類のアセンションへの対応が「遅れに遅れて」いるなかで、この地球のスケジュールは一貫して変わっていません。したがって、人類のアセンションの「最終期限」も、そこに定められていることになります。 地球は、アセンションに向けて一貫して波動レベルを上昇させており、それは物理的には、物質地球のエネルギーレベルの上昇を意味します。波動(振動数)のレベルは、エネルギーレベルと同等です。地球が波動レベルを上昇させるために必要なエネルギー源は、この宇宙に遍満しており、それは私たちでも利用できるものです。ヨガの行者や気功師などが利用するものも、同じエネルギー源です。 この、地球の波動レベルの上昇に伴って、従来の科学的知見では説明のつかない「温暖化」が、じわじわと進行するでしょう。南極の氷冠の融解に代表される現象が、さらに顕著になるでしょう。地球は、「まぶしくて熱い」太陽のような星に近づいていくのです。それは単に、3次元レベルとの差によってそのように感じるだけのことで、同等の波動レベルで地球とともに上昇する生命体にとっては、まぶしくも熱くもない快適な環境です。逆に、そのように波動レベルを上昇させる道を選択しない生命体(イルカ・クジラや動植物には、ペットを別として、これに該当するものはありません)にとっては、ある時期になると、地球が耐えられない環境となって、そこから離脱する(同じ波動レベルの他の星への転生、つまり地球でいう肉体の死)しか選択の余地がなくなることがお分かりいただけると思います。 実際には、意図的に後者の選択をする人は、それほど多くないとみられます。地球の動きに呼応して、人類の意識の変容が着実に進行しているからです。あなたが表面的には意識していなくても、あなたは確実に変わりつつあり、それによって、人類全体の更なる変容に寄与しています。その最も簡単な検証法は、あなた自身の意識の変化を、5年前10年前と比べてみることです。私たちの現実は意識によって創られているので、意識のこの変容は、私たちの肉体を含めた物質界全体を変えずにはおきません。今のところ、この変化は、かなり注意しないと見逃してしまうような精妙なものですが、間もなくそれが「臨界」に達したとき、誰の目にも明らかになるでしょう。ただ、その際の「未知の体験」に対して、「論理的頭脳」の抵抗が大きすぎると、地球全体が大混乱に陥る懸念があります。 私たちが金科玉条にしている「論理的頭脳」の現実認識、つまり強固な信条体系は、実は、人類をコントロールして「分離のゲーム」「2極性のゲーム」に没頭させるために捏造され、多年にわたって吹き込まれてきた虚構だったと気づかされるでしょう。本来の人類は、一人一人が、あらゆる現実を自在に創ることができる完璧な創造者です。その本来の姿に戻ることが、今回のアセンションの目的であり、約束された到達点なのです。これからは、論理や判断を捨てて、感性で、心眼でものを見ることがきわめて重要になってきます。 アセンションにおけるグループ・組織・団体の識別 アセンションを目指すには、それを明白に意図し宣言することに加えて、マインドの浄化を通じて個人の波動のレベルを上げていく必要があります。一般論として、これを個人でやるよりも、どんな形であれ、認識と目的を共有するグループでやる方が、目標とする各レベルへ早く到達できるといえるでしょう。この場合、グループ、組織または団体の在り方として、あたかもすでにアセンションが成就しているかのように運営されていればベストだし、少なくとも理念としては、それに近いものを持っていなければ意味がありません。 アセンションは、個人の主権の完全な確立であり、あらゆる拘束から開放された完全な自由の確保であり、個性や創意の完全な発現です。また、すべての恐れや不安からの脱却、あらゆる区別・差別・競争の意識からの離別です。さらに、他者の在り方をコントロールしようとするクセの完全な放棄でもあります。このような要件を備えたものが見つかるでしょうか。 広く世間を見ると、スピリチュアルな面での向上を標榜してはいても、内実は、上記の要件を備えているどころか、むしろ正反対の「特性」によって運営されているものが意外と多いことに気づくでしょう。これは、構成メンバーの動機にも問題があります。残念ながら、地球はいま混迷の渦の中にあります。その混迷の副産物として生じることの多い、個人的苦境に対する安直な解決策を求める人々が増え、それに対する「受け皿(駆け込み寺)」もまた繁盛するという具合です。このような場合、参画によってアセンションへ接近するどころか、ますます遠ざかる結果となりかねません。自分の外に答えがあり他者によって救われる道がある、という誤解が消えないかぎり、こうした不幸な循環が続くでしょう。 このように、適正なグループ等を探り当てることは、まさに「地雷原でトリュフ(フランス料理などで最高の珍味とされるキノコの一種)を探す」ような難しさがあることを認識しておく必要があります。しかし、譲ることのできない識別基準はかなり明確です。その上で、感性や直感によって判断すれば間違いがないでしょう。 1. 個人崇拝---対象が過去の人であれ現在の人であれ、個人崇拝のあるところには近寄らないのが賢明です。 なぜならすべては対等だからです。「神」と「ヒト」との間でさえ---。ここで、「神」という言葉は、人類の一般的な認識に合わせて、便宜的に使っています。それは、万物の意識の集合体で、なおかつ個性と目的をもつ存在です。個人の「ソウル(魂)」に対して、たとえば民族全体の魂を「オーバーソウル」と定義します。それがさらに、地球レベル、太陽系レベル、銀河レベルと集約されていく無数の階梯を経て、宇宙全体の「ソウル」の統合を想定してみてください。「すべてのすべて(All-That-Is)」という感じです。それぞれの階梯は、波動のレベルと情報量に対応します。といっても、階梯間に上下の区別を設けるのは実態に合っていません。なぜなら、全体は個別の集合であり、個別は全体の部分だからです。その意味で「ヒト」も「神」です。お互いに「神」であり対等なのです。グループ等のメンバーが、指導者を含めて、実質的な在り方として対等かどうかを見極める必要があります。 2. コントロール---「教義」やルールを設けて、個人の人生に介入し、特定の目的のためのコントロールすることは、アセンションの逆行です。また、行いに是非の区別をつけて、それによって結果が変わってくるというような「オドシ」が幅を利かせているところも要注意です。参画することによって、ますます大きい自由を得るようでなければ意味がありません。 3. 金品の要求---グループ等に所属し続けるための個人の金銭的支出が、常識の範囲かどうかを見極める必要があります。それが不当に大きい場合は、その最終的な行方を推測すると、実相が見えてくるでしょう。 すでに何かのグループ等に属している場合は、その目的が何であれ、上記のような観点から真剣に検討してみるのが良いでしょう。グループ等の牽引力は意外に大きいので、「不適格」のものにずるずる付き合っていると、いつの間にかアセンションから大きくそれてしまう恐れがあります。また、現代社会では、大勢の人が職業として、会社のような組織に所属しています。これとアセンションとの関係も気になるところだと思いますが、その考察は次回に譲ります。 アセンションに関しては、せいぜい今から10年前後で決定的な結果が出ます。それは「今生」の総決算であるだけでなく、何万年にもわたるすべての「転生」の決着でもあります。それを考えると、これからの人生のすべてをアセンションに投入すると決断しても、決して早すぎることはありません。むしろ、それでも間に合わないくらい切迫していると考えるのが妥当なところです。そこで、「アセンション・コミュニティー」という構想が出てきます。これについては、本シリーズの「アセンション(4)、[補足]アセンション・コミュニティー」を参照してください。 既存のグループ等で適当なものがなければ、新たに結成するという手もあります。その場合の注意点は、既存のものを評価する場合と同じです。もっと簡便なやり方として、認識と目標が一致する個人間の「ルース・カップリング(緩やかな結合)」が考えられます。たとえば、E-メールなどによる情報の交換に加えて、インフォーマル/準フォーマル(不定期/準定期)のミーティングにおいて、お互いのリソース(資源)を持ち寄って研鑚するわけです。すべての人に個性があり、その個性がその人のリソースです。リソースはエネルギーです。エネルギーは束ね融合することによって、個々のものの何倍もの力になります。

アセンション(4)

Posted by photn on 10.2010 アセンション   1 comments   0 trackback
数万年のサイクルでやってくる「フォトン・ベルト」のエネルギーは、「新しい地球」へ導く「光の大河」に例えることができます。その気になってこの流れに乗りさえすれば、所要時間の差があるにしても、誰もが「新しい島」へ運んでもらえるという、めったにないチャンスの到来です。ちょっとした「波乗り」の訓練をして、本流にうまく身を委ねれば、「先頭集団」に加わってゴールインすることも夢ではありません。

しかし現状では、

多数の人が、流されまいと岸辺の草をしっかり掴んでいるようです。今のところ流れがゆっくりしているので、流れに逆らっているという認識はないでしょうが-- -。もっと光が増えて流れが速くなると、掴んでいることがだんだん難しくなり、よほど感度の鈍い人でも、なにか空前のことが起こっていると認識せざるを得なくなるでしょう。そして、しっかり掴んでいるはずの草が、フッと消える瞬間がやってきます。それどころか、岸辺すら消えていることに気づくでしょう。その時の、想念の混乱を考えてみてください。

ほとんどの人は、現在何が起こっているかを知っていると、絶対的に確信しています。あるいは、何か大きなことが起こっているなら、まず政府やマスメディアからの知らせが来るだろうという「根拠のない」思い込みを、安住のよすがにしています。その結果、目の前にあるものも見ようとしないので、何が起こっているかをぜんぜん理解しないまま、気がついた時には全てが終わっているということになりかねません。

アセンションは、私たち一人一人が、自分自身で考え判断する力を試される機会でもあります。文字通り「宙に迷う」ことを避けたいなら、とても信じられないような情報でも、いったんは取り込んでみる勇気を持つことが望まれます。それによって失うものは何もないのですから。その情報を、どう調理して消化吸収するか(しないか)は、あなたの「腕(感性)」の見せ所です。
DNAの変容

アセンションの進行につれて、人間のDNAが変容するといわれていますが、その兆候は現れているでしょうか。はからずも、AIDS(エイズ)がそのきっかけを与えてくれました。10年ぐらい前に、別に珍しいことではありませんが、両親から受け継いだAIDS 病原菌を持った子供がアメリカで生まれました。その子は、6ヵ月後の検査でもAIDS陽性でしたが、その後は定期的な検査が行われず、6歳のとき始めて再検査が行われました。驚いたことに、この時の検査では、AIDSのかけらもなくなっていたのです。

そこで、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で、この子に何が起こっているかを徹底的に調べることになりました。その結果、単にAIDSに対する強力な免疫力を持っているだけでなく、あらゆる疫病に対して完璧な免疫力があることが分かったのです。この子は、「病気になることができない」人間になっていたのです。更に調べた結果、遺伝子レベルでも、変化が見られました。

私たちのからだでは、毎日タンパク質が分解され、その分がアミノ酸から新たに合成されています。タンパク質は、多種類のアミノ酸が一定の順序で結合した、巨大分子です。特定のタンパク質を合成する能力は、遺伝的に決定されていて、DNA がその鍵となる物質です。DNAの二重螺旋構造について聞いたことがあると思います。これは、単位物質が、数千から数百万もつながった長大な分子で、これに結合している、チミン(T:略号)、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)という、4種類の塩基の配列によって遺伝情報が規定されています。

さて、からだに必要な20種類のアミノ酸は、遺伝子上にあるDNAの塩基配列からアミノ酸配列へ翻訳することによって造られます。これは、上記の4種類の塩基のうち3種類の組み合わせ(例えば略号で T・C・A、このような組み合わせをコドンと呼びます)を、1種類のアミノ酸(前例の場合は、セリン)に対応させることによって行われます。簡単に計算できますが、コドンは全部で64(=4×4×4)あります。アミノ酸の20とコドンの64との関係は、終止コドンというものが3つあり、残りの61では、1つのアミノ酸に対応するコドンが2つ以上あるためです。

タンパク質の合成、つまりその前提としてのアミノ酸の生成には、特定のコドンが選択的に使われており、それはタンパク質合成の効率に関係します(当然ながら、その効率が良ければ、細胞がどんどん生まれ変わって、生命体の高い活力が維持されるわけです)。このようなコドンの選択について、血液分析などで観察される状態を、「コドンユーセージ(コドン使用頻度)」という言い方をしています。AIDSでは、「コドンユーセージ」の減少が問題になります。「コドンユーセージ」は、生物種および各組織毎、さらに生成物毎に異なっていて、ヒトは、普通は20種類のコドンが活性化しています。ところが、その子は、24種類のコドンが活性化していることが分かったのです。

さらに、1995年から96年に行われた、国際的な血液調査のサンプルによって、類似のケースがないかどうかが調べられました。その結果、必ずしもAIDS に関係なく、このようにコドンが活性化している子供が、次々と見つかりました、何百万人も。主に子供ですが、大人でも見つかりました。結局、今や世界の人口の1%、つまり約6千万人が、これに該当すると推定されています。わずか10年以内に、この規模にまで「増殖」したのです。

コドンの活性化や免疫力の獲得は、実は、いま起こっている壮大な物語の一つの局面に過ぎません。また、ここに見られる遺伝子レベルの変容は、これから起こってくる、もっと大きいDNAの変容の、さきがけです。そして、覚えておいてください。政府やマスメディアから、そうした情報が与えられるのは、いつものように、「コト」が終わった後になるだろうということを---。
インディゴ・チルドレン

いま世界中で、「ADD(Attention Deficit Disorder:注意欠陥症)」や「ADHD(Attention Deficit Hyperactive Disorder:注意欠陥多動症)」というレッテルを貼られる子供たちが急増しています。アメリカでは、この5年間に、その数が年々倍増して、いまや全児童生徒の3-9%にこの「障害」が認められるといいます。「注意欠陥多動性障害児」は、特殊な学習障害や、時に反社会的行動などを伴なう、一種の精神障害の持ち主として扱われるようになっています。その「治療」として、もっぱら向精神剤の「リタリン(Ritalin:塩酸メチルフェニデートの商品名)」が用いられています。この薬は、不眠、興奮、神経過敏、頭痛、めまい、うつ状態など多種類の副作用があります。治療成績は、芳しくありません。

学習障害児は、どの学校にも昔から、ある割合で存在しました。しかし、近年になってそれに大きく上乗せされた部分を、十把ひとからげに扱ってよいものでしょうか。学習不適格が増える一方で、全体のIQ (知能指数)が上がってきているのはなぜでしょうか。これらは、「新種」の子供たちです。少なくとも親や教師たちにとって、「新種」の問題です。これに対して、社会や学校という既存の枠組みとそこで適用されるルールや価値基準を離れて、これらの子供たちを人間として純粋に観察する研究者も増えてきました。そして少しずつ、この「新種」の子供たちの全体像が明らかになりつつあります。

「新種」に共通的な特徴のいくつかは、次の通りです。

* 一種の気位(きぐらい)があり、目的を持ってここにいるようにみえ、そのように振る舞う。
* 感受性が強く、エネルギッシュ。
* 超自然的な知覚力を持つように見えることがある。
* 自尊心が強く、自分独自の行動様式や問題解決手順を持つ。
* 興味のあることなら、スポンジのように急速に知識を吸収する(探検的に学ぶ)。
* 早い段階で「教室」への適応に失敗すると、そこでの学習意欲を永久に失うことがある。
* 生まれながらの創造者(科学者、発明家、芸術家)。
* 権威やルールの押し付け、堅苦しい儀式には折り合えない。
* 親や近縁のものがコントロールしようとする目論見を、簡単に見抜いて無効にする。
* 列を作って待つなど、いくつかの集団行為は決してやらない。
* 家庭や学校で「別のやり方」を編み出す(システム破壊者)。
* 自分に対する、周りの評価は問題にしないし、それに影響されることもない。
* 罪悪感を基準にした教導には反応しない。
* 自分の目的や欲求を表に出すことを恥ずかしがらない。
* 自分の在り方が周りに理解されないと、内向的になることがある。
* 「立派な大人」として扱われたときの反応が、最も良い。

インディゴ(indigo:藍色)は、超心理学者の Nancy Ann Tappe が、特定の子供たちが「この色に見える」として名付けたものです。上記のカテゴリーは、当初彼女が定義した範囲と完全に重なっているわけではありませんが、現在では、この呼び名が定着しつつあります。いずれにせよ、色自体は問題の本質ではありません。

残念ながら、世界の現状は、インディゴたちにとって不幸な状況が続いています。親たちの多くは、インディゴの潜在能力の高さに気づいていません。それどころか、インディゴの「過剰な」想像力や創造性を、早い段階で摘み取らないと「将来が大変だ」と考えます。そこで摘み取りきれなかった部分は、学校が、そして社会が面倒を見る仕掛けが定着しています。「悩める親たち」の横の連絡機構や、カウンセリングの組織もあります。しかしそれらは、一部の例外を除いて、インディゴの本質を理解しておらず、「LD(Lerning Disability:学習障害)」の大枠の中で対処しようとしているにすぎません。

「日本LD学会」というものもありますが、「リタリン」を投与して様子を見ようとする医者(「潜在力の圧殺」に成功したとき「治療の効果があった」とされます)と同様、本質が分からずやっているから、根本的な解決に至らないのです。最適の「クスリ」があるとすれば、それは、社会自体が変わることです。社会機能は正常、学校教育は正当という観点から、ADHDという病気が「創造」されましたが、子供たちは病気にかかっているわけではありません。今の社会システムに「属する」ためには、自分を殺さなければならないが殺しきれない---という問題です。この状況にふさわしい名称は、「SFDS(Social Function Deficiency Syndrome:社会機能不全症候群)」です。

ところで、「宇宙」からの情報は、インディゴ・チルドレンについて、もっと明快な光を与えてくれます。1989 年以降、10人のうち8人の子供は、「意識が開かれた状態」で生まれてきているとのことです。この「移行期」の地球の必要を満たし、かつ自らも「アセンション」という稀有の体験を持つため、高次元の魂たちが、大量に地球人の肉体に宿るようになっているのです。もうすぐ、彼らが時代をリードし、地球の新しい文明の担い手となるのが見られるでしょう。

さまざまな機会に、身近でインディゴを「発見する」ことは珍しくないはずです。抑圧的でない環境で育てられているインディゴは、自然界の精霊や牧神が見え、造作もなくテレパシーで会話を交わしています。インディゴはその様子を、(「想像」するのではなく)詳細に「説明」することができます。インディゴを持つ賢明な母親は、行動や判断の節目節目でインディゴに尋ねて、その情報力を「有効活用」しています。答えは、一瞬で出てきます。時には、インディゴが、親族や知人の危急を知らせてくれることもあります。

インディゴは、あなたがまったく気づいていないことも含めて、「すべて」を知っている、あるいは知る手段を持っているのだから、あなたの浅知恵(失礼!)を押し付けたり、管理したりするのはもっての外です(相手が誰であろうと、人に対するコントロールや管理は、そもそも「宇宙の原理」に反することなのですが)。なお、インディゴの健康状態、肉体の抵抗力については、親より優れているとは必ずしもいえません。それは、親たちが、子供の誕生以前に、「ジャンクフード(ファーストフードなどの粗悪食品)」を食べたこと、そして衣食住の生活環境内の有害物質が年々増えていることが主な原因です。

この10年の間に、地球において、インディゴの「ストック(在庫)」が急激に増えてきました。そして5年の間に、大量に就学期を迎えました。さらに10年経ったらどうなるか考えてみてください。もはやこの現実に、従来の観念で対処することは不可能です。インディゴは、巨大な「マス(塊)」として、有無を言わせぬ現実をこの社会に突きつけながら、頭の固い大人たちが最終的に目を覚ます機会を与えてくれているとも言えます。
からだの浄化

アセンションの「波乗りを楽しむ」ためには、それを意図するだけでなく、宇宙の動きに遅れないように、私たちの波動レベルを上げていく必要があります。「からだ」と「マインド(心・精神)」の浄化によってそれが達成できるはずですが、コトは簡単ではありません。私たちの「からだ」も「マインド」も、すでに広範に「汚染」されているだけでなく、外部環境が、浄化を妨げるもので満ち溢れています。捨てる努力をしながらも、同じもの・同種のものを、ついつい取り込んでしまうという、イタチゴッコをするようなプロセスが待ち受けています。断固としてそれを乗り越えてみせる、という決意が、まず始めに必要になるでしょう。

からだの浄化に最も関係が深いものは、食べ物です。これに関連して、本シリーズ第1部の「飽食のなかの食糧危機」と「プラネタリー・クリーニング」も参考にしてください。前者には、食の「質の危機」について、いくつかの事例をもとに、ややマクロ的に説明した部分があります。後者には、環境ホルモンの観点から、化学物質の問題、農薬の危険、遺伝子組み替え作物の問題などを扱った部分があります。

さて、食事を通じて浄化を加速する最も手っ取り早い方法は、エネルギーレベルつまり波動レベルの高いものを摂取し、低いものを敬遠することです。食品などの波動レベルの測定には、さまざまな手法や機器が開発されており、それらによる測定データは、ほとんど同じ方向を示しています。また、食品に含まれる残留農薬や食品添加物も問題になります。農薬については、上記の「プラネタリー・クリーニング」を参照してください。

食品添加物としては、保存料、合成着色料、糊料、酸化防止剤、膨張剤、化学調味料、安定剤、乳化剤、酸味料など、31種類、347品目が使われています。この20年間に、いったん許可されてから発ガン性などを理由に禁止(削除)された添加物が23品目あります。私たちが普通の食生活をすると、1日に60~70種類、約10グラムの、これら食品添加物(合成化学物質)を取り込むことになります。これでは、すでに体に入っているものの浄化どころではありません。これを避けるには、食品の成分表示に注意する必要があります。もちろん、できるだけ加工食品を使わず、生の素材から調理することが基本ですが---。

食品の波動レベルは、一般的に、自然の状態に近いものほど高くなります。当然、ブロイラーより地鶏が高いですが、鮮度の良いものの入手は簡単ではありません。牛肉や豚肉は、あらゆる食品のなかで、最も波動の低いものです。これは、飼育過程でのストレスに加えて、屠殺(とさつ)という行為が関係していると考えられます。

動物性タンパクは、できるだけ魚介類で摂るようにしましょう。といっても、ハマチ、タイ、エビなどの養殖されたものは、敬遠したい魚介類です(エサに混ぜて投与される抗生物質や、魚網に塗る猛毒の防汚剤の問題もあります)。ハマチは、ブリ、ワラサ、イナダ、ワカシなどの名前で売られることもあります。野菜や果物では、ハウスなどで栽培されて年間を通じて市場に並ぶものよりも、旬の露地ものが高い波動を示します。ブドウや梨などの種無しのものは、植物成長ホルモンを振りかけて促成栽培したもので、低い波動の果物です。

以下、上記以外の主な食品について、選択のポイントを列挙します。

* (米) 精白した米は、貴重な栄養が削ぎ落とされています。一方、農薬は胚芽に残留し易いので、有機栽培の玄米を購入し、必要によって例えば5分に自家精米するのがベストです。
* (パン) 国産小麦を原料として、(薬剤で漂白しない)全粒粉を用い、天然酵母を使った、防腐剤などの添加物を加えていないもの。輸入小麦は、貯蔵や輸送中に使われる殺虫剤の残留が懸念されます。また、自動製パン機を使う大工場では、パン型などに流動パラフィンが使われています。
* (牛乳)日本で市販されている牛乳のほとんどは、ヨーロッパなどと違って、高温加熱処理されているため、有用な乳酸菌は死滅し、タンパク質やカルシウムも変成しています。牛乳の代わりに、ヨーグルトを摂るようにしましょう。
* (卵) 波動が高いのものは、屋外で放し飼いで育てた鶏が産んだものだけです。地養卵だの解放鶏舎だの、紛らわしい名目をつけて、値段を吊り上げているものがあります。また、酵母菌やビタミンなど、もっぱら飼料を強調しているものも、値段に見合う価値はありません。卵ほど「まやかし」が、まかり通っている食品は例をみません。できれば、飼育現場を見学してください。
* (野菜) 「有機栽培、無農薬」のルートを開拓しましょう。例えばトマトの温室栽培では、一般に、6つの病気に25種、アブラムシに5種、オンシツコナジラミに4種、除草剤として3種、合計37種の農薬が使われています。
* (果物) 国産のものが1年中出まわっているので、これが第1選択肢です。しかし、国産でも安心はできません。例えば、リンゴの典型的な栽培法は、20種の殺虫剤と14種の殺菌剤を混合して、これを4月から11月の収穫期までに16回散布します。ミカンでは、一般的に、着色料、皮膜剤、防カビ剤、そして保存料が塗布されています。
* (砂糖) 加工程度が低い三温糖、またはまったく化学処理していない玄糖。
* (塩) 海水の微量成分を生かした自然塩。
* (醤油) 国産無農薬大豆、小麦、自然塩そして天然醸造法で造ったもの。
* (味噌) 天然熟成し、添加物を加えていないもの。大手メーカーの短期醸造法で造ったものは添加物のかたまりです。
* (食用油) 化学物質を使って、大量生産できる要注意食品の代表。混合油でなく、単体のごま油、べに花油、なたね油などで、薬品による抽出でなく、圧搾して造ったものを選ぶようにしましょう。
* (お茶) 無農薬栽培が極めて難しいといわれる、農薬漬け食品の代表。信頼できる入手ルートが無いなら、むしろ有機無農薬栽培のハーブティーを日常飲むようにするのがよいでしょう。
* (ビール) 麦芽100%のものを選ぶ。それ以外は、原料のコーンスターチに遺伝子組替トウモロコシが使われている可能性があります。なお、以下のものを含めて、アルコールの多飲は、「浄化」の逆行になることに留意しましょう。
* (日本酒) 純米酒でも、「米ヌカ糖化液」を混ぜたものがある(表示義務はない)。また、人体に有害な、合成乳酸を使っているものがあります。「日本名門酒会」のものを選ぶようにするとよいでしょう。なお、「生貯蔵酒」や「生詰」と表示さているものは、出荷前に加熱処理されており、冬季だけ出回る「生酒」とは違うので注意しましょう。
* (ワイン) 国産で、酸化防止剤(亜硝酸塩)を含まないものが出ています。

このようにみてくると、「えらいことになっている」と、うんざりするかもしれません。その通り、「農」は「商」に蹂躙されたのです。農協の「商」の機能も、このプロセスの進展に「寄与」しました。その過程で、「農」の担い手の理念も変質したのです。「見かけ」だけで選ぶ消費者の姿勢にも問題があります。いずれにせよ、知っているのと知らないのとでは大違いです。実態を認識することが第1歩です。そして、現在の流通機構を考えると、100点はとても無理でしょうが、品目の数または1ヵ月の食事内容で、せめて50点ぐらいを達成できれば、「浄化」へ大きく前進することになるでしょう。

最近は、農家の姿勢もじわじわと変わってきており、スーパーなどでも、上記のような「適格商品」の品揃えに力を入れるようになりました。また、自然食品を専門に扱う店の数も増えつつあります。さらに、直販を含めて、安全な食品の製造販売を社是としているメーカーも各業種に少なからずあります。

これまで使ってきた食品が底をついた時が、切り替えのタイミングです。一つ、また一つと、変えていくのが無理のないやり方です。また、外食が多い方は、素材の選択、したがってメニュー選びが重要になります。場合によっては、料理への好みを変えていくことも必要になるでしょう。地域の自然志向レストランや食堂を探索するのも、楽しいでしょう。また、出された料理が気になるときの「応急処置」としては、掌を2、3秒当てて清める方法や、からだに良いと暗示をかける方法があります。

なお、食品ではありませんが、日常使うもので、シャンプーや歯磨き剤などの成分表示に注意する必要があります。これらにも、石鹸や炭酸カルシウムなどを使った「適格」のものはあります。また、電動歯ブラシや電気シェーバーなどは、からだにじかに触れるため、テレビやパソコン以上に、電磁波の影響を受けます。早めに「手動」に切り替えるのが無難です。

他に、からだの浄化に極めて効果的な手段は、入浴、水泳、散歩そして軽い日光浴です。手軽に温泉に入れる環境にあれば、申し分ありません。ヘルスクラブなどに入会するのもひとつの手段です。
「モチモノ」の点検と廃棄

私たちは、「今生」だけでなく、数多くの地球での「転生」の経験を通じて、多数の「地球型ドグマ(信条)」を身に着けてきました。そのほとんどは、「ネガティブたち」のマインドコントロールの下で取り込んだものです。いわば陰謀によって嵌められた「桎梏(足かせ手かせ)」あるいは「重し」のようなものですが、それを、絶対真理であるかのように後生大事に抱え込んでいるのが実情です。「重し」を外せば、「呪縛」が解けて身軽になり、「上昇」しやすくなります。

私たちが身に着けているこのような「モチモノ」には、多少なりとも個人差があります。そこで、それら一つ一つを、自分の心に聴きながら点検・確認して、思い当たることがあれば躊躇せずに「廃棄」すること、これが、「マインドの浄化」のファーストステップです。目指すは、何ものにも拘束されない「創造者」としての自分です。

以下、代表的な「モチモノ」を列記してみます。その根底にあるものは、私たち地球人類の創造者としての「実力」の過小評価です。これは、人類を支配しコントロールしようとする勢力によって、「そのように仕向けられてきた」歴史に由来しています。その仕掛けは、遺伝子レベルに及んでいます。

1.恐怖感 --- 最大の「モチモノ」といってよいでしょう。同時に、「彼ら」にとって、これを「植え付ける」ことが、人類をコントロールする最大の武器でもありました。死への恐怖、病気や別離への恐れ、地位を失う恐れ、経済的苦難への恐れ、愛情や親密さを表現することへの恐れ、自分の真実を表出することへの恐れ、失敗することへの恐れ等々。すべて、永い歴史の中で、「オールマイティの創造者」であることを「忘れてしまった」ことが根源にあります。また、死への恐怖は、肉体が唯一の実在だという「ニセ情報」を信じ込ませられてきたことに関係します。

この3次元の世界では、表面意識から見て「予想外」のことが起こることは多々ありますが、常に、原因は自分にあり、「何か必要な知らせ」が来たと捉えるのが正解です。そうでないと、「創造者としての自分」の地位を放棄することになります。たとえそれが、一見困難な状況であっても、自分としていま何が出来るかを考えて、行動を起こせばよいわけです(恐怖心に駆られて走り出すのでなく)。一瞬一瞬、常に状況を把握していて、「足が地に付いて」いれば、その状態がすべてです。先のことを、あれこれ心配する「クセ」は、「廃棄」すべき「モチモノ」の1つです。

2.成功の追求 --- この世で言われる成功や失敗は、すべて特定の観点または見解に過ぎません。時代を経て、成功が失敗に変わる例はいくらでもあります。1987年から1989年の日本のバブル期に「大成功」した会社のほとんどは、その後現在までに「大失敗」したことが明らかになりました。この瞬間でも、科学技術で成功とされているもののほとんどは、「エコロジー(地球環境)」の観点では失敗です。あるいは、何百万人も殺して、戦争に勝利したことが成功と言えるでしょうか。

そもそも、成功を追求したり、成功や失敗のレッテルを貼ることがおかしかったのです。「成功願望」は、誤った価値基準の産物です。価値を規定するなら、それぞれの人が、創造者としての体験を積んでいるプロセスだけが、唯一の価値です。その価値を評価できるのは、本人だけです。目標を求めるなら、その計画がヒューマニティ全体に寄与しているかどうかだけをチェックすれば十分です。

3.隠蔽と責任転嫁 --- 根源に「失敗への恐れ」があり、実際に「失敗した」と当事者が認識したとき、隠蔽や責任転嫁が出てきます。したがってこれも、恐怖感の変形であり、誤った価値基準を信奉した「ツケ」のようなものです。「失敗した」などと認識しなければよいのです。すべてはプロセスであり、ゲームであり、それぞれに固有の価値があるのだから、「失敗」は存在しないのです。また、自分のジレンマの責任を、外部に押し付けることは、力を放棄して外部に売り渡すことになるので要注意です。

もう一つ、隠蔽が出てくるケースは、幼少期あるいはその後に、両親、親族、あるいは友人などに好まれ受け容れられてきた「セルフイメージ」と実態がずれてきた(と本人が勝手に思い込んだ)場合です。「自己の真実」への直面を恐れているわけです。「プロセスの価値」だけを信頼していれば、何の問題もないことですが---。

4.恥じ --- 「恥を知れ」などと言われると、たいていの人が、胸にグサッときます。これは、感情の深い部分で、その指摘に同意しているからです。このような事態を避けるためには、どんなことでもやる、嘘でもごまかしでも殺人でさえも---という、人類が持つ不思議な感情です。本当は、同意する必要などないのに、日常、「コンセンサスという魔物」にとりつかれているので、ついついワナにはまってしまうのです。このコンセンサスは、人類が何千年もやってきた「分離のゲーム」の主要ルールで、何かにつけ比較し、差別し、優劣や善悪を分けようとする「シキタリ」です。

コンセンサスが造った現実は、大変誘引力があります。私たちは、生涯を通じて、それにドップリ浸かってきたわけですから。そして他者は、彼らの現実にあなたを封じこめておくことに、そもそも執着を持っています。うっかりそれに同調してフィードバックし、さらに強度を強め合うような愚は絶対に避けるべきです。それに対処するには、相手の発言やその裏にある思いを、とりわけそれがあなたにどう影響するかを、傾聴し完全に意識に乗せることが重要です。そうすれば、詭弁に乗せられることはないでしょう。気になるなら、そのエネルギーを掌に載せて、フッと息を吹きかけて空間に帰してやればよいのです。一つ一つ片付けることが要諦です。

5.盲信と信仰 --- 人類が本来持っていた透視能力は、ほとんどの人が機能不全に陥っています。また、見えすぎることには、ある種の不安が伴ないます。その状態で、人のネガティブな面をしっかり見ようとしない結果、盲信が生まれます。そして、見ようとしなかったネガティブな面を直接見せられたとき、裏切りを感じることになります。実はこれは、自我が創作した「一人芝居」です。価値基準の押し売りです。

人のイメージや仮面を買いかぶり、完璧だと決めてかかって崇拝するようになれば、信仰に近づきます。しかし実際には完璧な人などいない、「神」でさえも。そこで、組織的に「神」の「ストーリーの捏造(ねつぞう)」が行われることになります。その「筋書き」を、内部から、あるいは外部から崩されないようにするための、防御機構も構築されます。対象が過去の人であれ現在の人であれ、個人崇拝の宗教のほとんどが、このパターンに嵌まっています。あるいは意図して嵌めています。

どんな人でも、多かれ少なかれ二面性のバランスを取りながら、完成への道を歩んでいます。また、一瞬でも、同じところに止まっていることはありません。どの道の、どの段階にいるにせよ、それぞれに固有の価値があります。その意味で、すべての存在が対等です。相手が「神」であっても---。愛をもって対等の友として接すること。これが、あらゆる存在の相互関係の、唯一の有るべきルールです。

6.怒り --- 盲信や信仰が、何かのはずみで破綻したとき、嫌悪、怒りそして憎悪が姿をあらわします。しかしその原因は、対象とした相手にあるのではなく、自分の心の中にあることは、もうお分かりと思います。もともと「愛」があったのではなく、自分の「都合」だけがあったのです。

同じことは、児童虐待にも当てはまります。自分が勝手に造った期待像に子供が合わない場合、突然変身するというケースです。

7.嫉妬 --- しばしば「愛」の変質したものと誤解されますが、本当は「愛」の対極で、他人の喜びを見逃すことが出来ず、良いものは自分に属していないと気が済まない、というエゴの極致の感情です。それをストレートに表さず、屈折した形で表現するのが嫉妬です。根底にはやはり、何かを失うのではないかという、「恐れ」があります。

8.エゴ --- あらゆる人や状況を、コントロールしないと気が済まないという、私たちが持つ一面の性癖です。自分が最善、その他は間違っているという考えが根底にあります。たいていの場合、「善行を積んでいる」と固く信じてやるので、たいへん始末が悪いのです。

9.ネガティブエゴ --- 破壊や怠惰を追求するという、他の一面です。人や状況をコントロールすることは完全に放棄し、むしろあらゆるものの中で、自分が最悪だと考える傾向があります。一人の人間が、エゴとネガティブエゴの間を行ったり来たりすることは、よく見られます。

10.ジェンダー誤信 --- ジェンダーは、社会的文化的な意味の男女の性別のことです。男性上位の、この地球で主流となっている在り方の中で、女性は過小評価され、男性は過大評価されています。その矛盾が、男性側の「実力」がボロを出したときや、どの男性でも持っている「内なる女性原理」が、はからずも顔を出したようなときに、露呈します。

実際は、すべての人が、男性原理と女性原理の両方を内面に持っています。男性は優れ、女性は劣るという思いこみは、遠い昔にプログラムされた陰謀です。このプログラムのお陰で、地球では争いが絶えることがなく、「彼ら」にとって、まことに都合がよい状況が、今日まで続きました。

さて、「モチモノ」の点検と廃棄が進展するにつれ、「新しい地球」における人間の在り方が、染み込むように自然に、身に付いてくるはずです。それによって、「アセンション」に至る、或るレベルの要件が満たされることになるようです。

1.無条件の愛

2.オープンハート

3.「各個の真実」の受容

4.すべてが対等

5.あらゆる二面性の超越

6.創造のマスター

これらについて、ここでは、多くを語る必要はないと思います。

[補足]アセンション・コミュニティー

「アセンション」に至る最も望ましい形は、認識と志を同じくする人たちで、コミュニティーを造ることです。そのコミュニティーの在り方が、そのまま、「新しい地球社会」の雛型になることが最善だし、またそれを目指さなければ意味がありません。ただ、あくまでもこの3次元の地球上に実現するわけですから、それなりの限界や制約はあります。当面の収入の確保、子弟の教育、既存の地域社会との関係など、克服すべき課題はたくさんあります。しかし、「アセンション」という大目標をはっきり見据えている人にとっては、本気でやれば、解決できない問題ではないでしょう。

理想的には、自然に恵まれた広大な敷地の中に、参加するメンバーのそれぞれが自宅や共同住宅を持ち、少なくとも、共同の催しのための「センター棟」と、必ずしも生計のためではなく補助食品として、質の良い野菜や果物やハーブなどが収穫できるような、「共同農場」が欲しいところです。一挙にここまで実現できなくても、一部のメンバーは、近隣の市町村に散在して、共同行事の都度、集まってくる形でもよいでしょう。要は、目標を共有し、コミュニケーションや行動をシェアーすることが重要なのです。

そして、このようなコミュニティーが存立するための、重要な要件があります。第1に、メンバーの一人一人が、参加に当たって、上記(「モチモノ」の点検と廃棄)の意味の、「モチモノ」をすべて廃棄することが要請されます。これは、パーフェクトでなくてもかまいません。コミュニティーの実際の生活の中で、「モチモノ」を捨てれば捨てるほど気持ち良く生活できることが、自然に分かってくるからです。

第2に、メンバーのそれぞれが、経済的に自立できることが求められます。これは、家計単位であれば十分です。経済的に自立していることが、精神的に自立する前提になります。コミュニティーという言葉から、生計や労働力をプールした、相互扶助的な生活共同体を連想されるかもしれませんが、それは正解ではありません。そのような生活共同体は、仮にうまく機能するようになるとしても、何十年もかかるでしょう。また、得てして「もたれあいの構図」が発生して、精神的に自立できないメンバーが増えてくる恐れがあります。

さて、以上2つの基本要件さえ満たされたなら、実際の運営は、意外に簡単です。運営の約束事や規則集などは必要ありません。無い方が、変化に対して融通無碍に対処できて、面白味が増します。そして、メンバーの全員が「対等」であることが、直ちに「肌で感じられる」でしょう。特定のリーダーは必要ありません。自然に形成されるものが、コミュニティーの「合意」です。便宜上「代表」を置くとしても、その役割は、同窓会の幹事のようなものです。

コミュニティーの連絡手段は、FAXが基本です。それぞれの得意分野に応じて、最初に思いついた人が、そのテーマのリーダーになります。FAXの同報機能を使って、メンバーの全員宛てに、「明日9時から、ジャガイモの収穫をやります」とか「いついつ何時から、コーラスの練習をやります」という具合に流します。都合がつき、楽しいと思う人が参加すればよいのです。「不参加だと他の人に悪い」とか「サボるとはケシカラン」と思うような「モチモノ」は、誰も持っていません。他者への非難やコントロールは、結局は自分に降り掛かってくることを、全員が理解しているのです。《今日は、ジャガイモの収穫を見物しながら、日向ボッコをしまーす》という「参加」も、大いに歓迎されます---その人の楽しそうな姿を見るのが、みんな嬉しいのです。

このコミュニティーと外部社会との関わりについては、メンバーの何人かが、地域社会で職を得ていることを除けば、継続的なものはありません。地域社会のまつりごとに、チームで参加することはあります。また、「アセンション」の啓蒙活動の一環として、インターネットによる情報発信や機関紙の発行があります。関心のある人を集めた講演会もあります。テレビや新聞は、普通は、どの家庭にもありません。このような情報は、必要としないのです。せいぜい、たまにラジオを聞く程度です。

コミュニティーでは、各家庭でそれぞれのサイクルがあり、それに、コミュニティー全体のサイクルが重なります。そこには、完全な精神の自由があり、生活は、苦労よりも楽しさでもっぱら彩られます。そのような環境で、自然な形で生活すること自体が、「新しい地球」につながる、この3次元での「創造活動」なのです。

以上の記述は、実は、北海道に実在する或るコミュニティーについて、私の「3次元的解釈」の部分だけを、要約したものです。高次元まで含めた全体像からすれば、ごく一部であることを、おことわりしておきます。なお、コミュニティーのイメージを、こちらでご覧ください。




 

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