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日常の生活

Posted by photn on 18.2008 アセッション   0 trackback
自分自身の表現とは一体なんでしょうか。霊的な問題に感心を持ち始めた人は、聖地と呼ばれる場所を訪ねたり、適切もしくは無謀な行法を試みたり、世間から離れて山にこもったり、本物かどうかはさておいて、縁のあった指導者(グル)に入門したりすることが解脱への近道と考えがちです。 もちろんこのような選択からもそれなりに得るものはありますが、大切なことは、その人の進化にとって必要かつ充分な状況は、すでに目の前に与えられているのだと言う事実に気が付くことなのです。 誰でも自分の周囲を見渡してみると、自分にとって日常的な、しかし少しずつ変化している環境がありますそれは平凡なものであるかも知れませんし、波乱に満ちたものであるかも知れませんが、現に今、その場所とその仕事、そしてその人間関係の中に自分が存在していると言う事実は、魂が自分の進化の為に設定した課題を学ぶために、最もふさわしい環境を現象化しているのだと言うことを理解して頂きたいと思います。 つまりその人の進化にとっての最短距離は、自分の周囲に起こってくる出来事のひとつひとつをきちんとやっていくことに在るのであって、他に何か特別なものを探したからといって、近道ができるわけではないのです。 きちんとやるというのは、ひとつひとつの表現を心をこめて丁寧に、しかも確実に為していくと言うことで別の言い方をすれば、心に想い、言葉によって語り、身体を以って行なうことのいっさいが神の愛の表現になっていると言う意味になります。 普遍意識は完全なる調和で在る神の愛そのものですから、愛の表現は普遍意識の展開になるわけです。 この地上におけるあらゆる出来事の中で、大いなる愛の表現の機会でないものは何ひとつとして存在していないと言う事実です。 例えば手紙を誰かに宛てて書くということについて考えてみましょう。何も考えていなければ用件だけで済ませるような手紙でも、受け取る人への愛情を込めて書き上げれば、その手紙を読んだ人は幸せな気分になってバイブレーションが上がりますから、結果として光りを与えたことになります。 反対に怒りや愚痴を書き連ねたような手紙は、相手が覚者でない限り低い波動を伝えることになりますから、出す側にしても受け取る側にとっても善いことは何もありません。 また手紙を読む人が、その手紙を書いた人に対して、愛情を持っている場合、例えば子供や恋人からの手紙ですと、単なる近況報告でさえ嬉しいものですが、愛を以って読むということは参照するバイブレーションが高いわけですから、いかなるものの中にも光りを観出すことができるのです。
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